シュール、アナ、ダダ等の昔の批評は運動がつく。シュールレアリスム運動、アナキズム運動、フェミニズム運動というように。批評家=運動家だった。構造主義運動というのは微妙な感じだが、付けてもいいような気がする。脱構築ポストモダンに運動は似合わない。脱構築運動とかポストモダン運動とかひきこもり運動とか動物化運動とかは語義矛盾なので言うことはできない。それじゃあ、現在において批評的な運動、運動的な批評はどうすりゃいいのか。NAMの惨状。運動はどこにある? なるべくでたらめな運動の可能性。